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部屋の中にあるリンゴを見ているわたし。
わたしが部屋からいなくなったら果たしてリンゴは存在するのか? そんなもんあるに決まっている、と言うのが普通の感覚です。 人(観察者)が居ようが居まいが世の中に存在しているモノ、或いは部屋や果ては宇宙までの空間は存在する。これがニュートンの絶対空間と言うやつです。 又、アインシュタインは3次元空間に時間を加え4次元時空を提唱し、今やこの空間と言う器は絶対化されています。 肉体を持つ自己はその器の中にポツンと身を置く危うい存在に落とし込まれ、チェスの駒のようにそこに置かれようと取り除かれようとゲームは進み続ける。 ここでは器である外在世界と自己である内在世界は分断されています。 しかしこの感覚は我々の身体感からすれば何の違和感なく受け入れられるものです。 一方哲学の分野では、人が居て初めてモノは存在する、つまりリンゴは観察者に認識されることによって存在し、観察されなければ存在しない、と言う考え方をする人もいました。 ここでは外在世界と内在世界は分断されることなくリンクし、宇宙の中にポツリと点在している駒なんかではなく、わたしが宇宙を映し出している主体として君臨しています。 しかしこの感覚は現在の我々の身体感からは微塵も感じ取れず非現実極まりないです。ましてや4次元時空は豊富な物理学的根拠を携えているので何とも分が悪い感じがします。 しかし外在と内在のリンクは現代物理学の頂点とも言うべき素粒子(量子)によってその扉を開こうとしています。
by demension12
| 2010-06-23 12:57
| コラム
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